歯科経営
近年、歯科医院を取り巻く環境は大きく変化しています。
とくに深刻なのが歯科衛生士や歯科助手の人材不足です。日本歯科衛生士会の調査によると、歯科衛生士の有効求人倍率は全国平均で約2倍前後と、他業種に比べても高水準が続いています。こうした状況下で、経営者が最も頭を悩ませるのが「人材の採用と定着」。その中核にあるのが賃上げです。給与水準は、スタッフが医院を選ぶ際の第一条件であり、また長期的に働き続けてもらうための重要な要素となります。この記事では、歯科医院経営における賃上げを「コスト」ではなく「投資」と捉え、どのように取り組むべきかを具体的に解説します。

歯科業界における人材不足の背景には、以下の要因が考えられます。
年間の新規卒業生数は、ほぼ横ばいで推移しており、供給が増えていません。加えて、入学者数も減少傾向にあり、定員割れを起こしている養成校は増加傾向にあります。需要増に供給が追いついていない状況です。
(出典:一般財団口腔保険協会 歯科衛生士教育に関する現状調査の結果報告)
医療、介護業界全体で人材確保が課題となり、賃金引き上げや待遇改善が進む中、歯科は待遇で劣るケースが増加しています。求職者はより条件の良い職場を選ぶ傾向にあります。
週休3日制やリモートワークが広がる中、従来型の勤務形態では歯科の魅力を打ち出しにくくなっています。また長時間労働や労働環境への厳しい視線が強まり、給与と労働条件の両立が求められています。
厚生労働省の賃金構造基本統計調査(2024年)によれば、歯科衛生士の平均給与は月額約27万円と上昇傾向にあります。しかし、都市部での初任給が30万円を提示している医院が多いのに対し、地方では10万円以上下回る医院もあり、地域格差があるのが現状です。その結果、資格を持っていても違う職種を選択するケースが増えています。賃上げを後回しにする医院は採用競争から取り残される危険性が高まっているのです。
(出典:賃金構造基本統計調査|厚生労働省)

賃上げは単なる「採用の武器」にとどまらず、定着率や職場全体の活性化にも直接作用します。
実際、賃金テーブルを見直した医院では患者対応の質が向上し、リコール率が約15%改善したという報告もあります。
賃上げはスタッフの心理に直接働きかけ、経営成果にまで波及するのです。
株式会社富士経営総合センター 特定社会保険労務士
三井 純一
「物価上昇 適切な賃金コントロールで生き残れ」
「【今すぐ使える】人財管理における3つのポイントご紹介」

賃上げを検討する際、多くの経営者が抱くのは「経営を圧迫するのでは」という不安です。しかし、賃上げを投資と位置付けることで長期的なリターンを得ることが可能です。
例えば、スタッフ1人あたりの売上が月10万円向上すれば、年額で120万円の増収。賃上げ分を上回る成果を実現できるのです。

給与だけを上げても、同業他院が同水準に追随すれば差別化は難しくなります。重要なのは福利厚生や教育制度を組み合わせた総合的な魅力づくりです
とくに、20〜40代の衛生士は「スキルアップできる職場」を重視する傾向があります。給与だけでなく成長実感とそれに見合った報酬を得られる環境を示すことが、長期定着につながります。また人生100年時代において、この先、50代以降の歯科衛生士の働き方も重要になってくるでしょう。豊富な臨床経験やコミュニケーション能力を生かすことで、医院経営の大きな戦力になり得るでしょう。

賃上げを単なる給与の引き上げに終わらせず、医院経営を強化する施策として機能させるためには、計画的なステップが欠かせません。以下の流れを参考に、自院に最適な仕組みを整えましょう。
まずは現在の収支構造を正確に把握することから始めます。売上の推移、固定費、材料費、人件費率などを分析し、賃上げ余力を数値化します。地域の平均給与や他院の募集条件を調査し、自院の給与水準を客観的に比較することも重要です。特に歯科衛生士は地域差が大きいため、**「競合医院よりどの程度上げる必要があるか」**を定量的に把握することで、無理のない賃上げ幅を設定できます。
単に「スタッフ確保のため」という理由だけではなく、離職率の改善・モチベーション向上・生産性アップなど、賃上げによって達成したい具体的なゴールを決めます。目的を明確にすることで、スタッフにも納得感を持ってもらいやすくなります。たとえば「年間リコール率を80%に引き上げる」「ホワイトニングの自費率を前年比20%増」など、医院の成長指標と連動させると効果的です。
いきなり大幅な昇給を実施すると、経営リスクが高まります。複数年にわたる段階的な賃上げを設定し、売上目標の達成や生産性改善と連動させる方法が現実的です。例えば「1年目は基本給+5,000円、2年目は自費診療比率が目標値に達した場合にさらに+5,000円」というように、条件付きのステップアップを取り入れることで、スタッフのモチベーション維持にもつながります。
賃上げを公平に実施するためには、評価基準の明確化が不可欠です。勤続年数だけでなく、患者満足度、カウンセリング実績、研修参加などを評価項目に加えることで、成果に応じた昇給が可能になります。評価制度が曖昧なままだと、賃上げが不満の原因となり、逆に離職リスクを高めかねません。スタッフ面談を定期的に行い、評価の透明性を確保することも忘れないようにしましょう。
賃上げ分の原資を確保するためには、売上拡大や診療効率化を同時に進めることが重要です。具体的には、自費メニューの提案強化、予防プログラムの定期化、予約管理システムによる稼働率向上などが挙げられます。スタッフが新たな施策に積極的に関わることで、賃上げが医院の成長を後押しする好循環が生まれます。
賃上げの背景や計画をスタッフに共有することで、医院とスタッフが同じ目標に向かって動ける環境を整えます。経営者だけが数字を握るのではなく、「この施策が達成されれば来年度の昇給幅が広がる」と具体的に示すことで、経営改善がチーム全体の課題として意識されるようになります。
このように、現状分析から評価制度、収益改善策までを一貫したステップとして設計することで、賃上げは単なるコストではなく、医院の成長を促進する投資へと変わります。

持続的な賃上げを実現するには、従来型の保険診療依存から脱却し、収益モデルを根本から見直す発想が求められます。
インプラント、ホワイトニング、マウスピース矯正など、自費率を高める治療はスタッフの専門性を活かす絶好の分野です。衛生士がカウンセリングを主導すれば、院長の診療効率も向上し、1人あたり売上の最大化につながります。
口腔内スキャナーやクラウド予約システム、AI自動診断補助などを取り入れることで診療効率を改善。同じ人員でより多くの患者を診る体制を整えることで、賃上げ原資を確保できます。
訪問歯科や小児予防プログラムなど、地域ニーズに特化したサービス展開は競合との差別化を生み、安定的な患者層と収益を確保できます。
収益基盤を多角化することで、賃上げを「経費」ではなく成長戦略の一環として実施できるようになります。
歯科医院における賃上げは、もはや選択肢ではなく必須の経営課題です。
経営者は「どのように賃上げを実現するか」を戦略的に設計することが、医院の未来を左右します。
最新の経営事例や具体的な実践方法は、歯科医療メディアORTCが開催するセミナーや特集記事でも紹介されています。自院に最適な賃上げ戦略を見つけ、採用力と経営の持続性を両立させましょう。

Q1.診療報酬改定2025年の賃上げは?
A.2024年度の診療報酬改定で「医療従事者の給与改善」が重要論点の1つとなり、ベースアップ評価の創設が行われました。
評価料を財源に、2024年度に2.5%、2025年度に2.0%—の賃上げを目指すものです。
Q2.昇給5000円は平均的ですか?
A.昇給5,000円は、歯科衛生士の月給ベースの昇給額としては「平均的」といえます。とくに中小規模の歯科医院では、このように少しずつ昇進していくケースが多いでしょう。しかし、一般の会社のように、業務内容や人事評価など昇進のルールが定まっていない歯科医院も多く、昇給がある年とない年が混在している場合もあります。
Q3.ベースアップ加算の対象者は?
A.ベースアップ評価料・加算の対象者は、医療現場で直接業務に当たる職種が中心です。歯科では、歯科衛生士、歯科助手、歯科技工士など医療現場で直接業務に当たる職種が対象です。
Q4.歯科のベースアップ加算はいつまでですか?
A.歯科におけるベースアップ評価料は、現時点では令和7年度(2025年度)末までの継続が予定されていますが、財源の状況や労働市場の変化によって変更される可能性があるため、注意が必要です。この評価料は令和6年度に新設され、令和7年度も引き続き算定できる見込みです。歯科診療所は、計画書を提出し、賃金改善計画の達成度を報告する必要があります。
歯科衛生士ライター 東雲あや

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