過去の判例から学ぶ矯正治療の注意点

歯科知識

歯科矯正には一般的に長期的な時間が必要となります。

また歯科矯正は一部の症例を除いて自費診療となるため、その費用は大きな金額です。

このように、矯正治療は患者にとっても歯科医療者にとっても時間と金額の二つの面からとても大きな契約であると言えます。

 

今回はそんな歯科治療において過去にあった判例を見ながら、どのような点に注意すべきなのか考えていきましょう。

 

1、治療内容とその期間において説明が不十分であったことから起こったトラブル

<事案>

1996年、患者X(女性)は近く結婚式を挙げることから、以前より気になっていた歯列矯正を受けることにしました。

その際、外科手術を併用することにより通常よりも短期間で歯科矯正をすることができると聞き、Y歯科医院を受診。

1996年3月4日、Y医師は患者Xに対し、治療計画書を示して治療計画を説明した。

 

<治療計画>

・第一計画

上下左右の第一小臼歯を抜歯し、コルチコトミー(外科的に皮質骨を除去あるいは切離することによって、歯及び歯槽骨を可動性にして、その後矯正装置を用いて不正の改善及び良好な咬合の獲得を図る治療法)を併用して矯正治療を行う。

 

・第二計画

歯冠修復等の保存処置を行う。

 

矯正治療に要する期間については通常の方法と異なりコルチコトミーを併用して矯正するので、患者Xの協力を前提として8ヶ月から10ヶ月程度の短期間で済む予定であること、費用について、自由診療しか行わず、第一期計画分だけで295万3,422円となること等を説明した。

 

この際、患者XはY歯科医師よりこのコルチコトミーを併用した治療計画であれば通常よりも短期間で矯正期間が終了できるとの説明を受けたことから、この治療計画に同意し治療契約が締結された。

 

しかし、予定されていた10ヶ月を過ぎた1997年1月頃から患者XはY歯科医師の治療に対して疑問を抱くようになる。

さらに矯正治療の開始から10ヶ月を経過しても治療が継続されていたことから、Y歯科医師にその理由と治療終了までの見通しの説明を求めたが、納得のいく説明が得られなかった。

さらに1997年5月16日には、Yから第二期計画についての説明を受け、費用の見積もりが696万9,585円となると言われた。

 

患者XはY歯科医師に対してさらに不信感を募らせるようになり、同年7月11日、治療契約を解除するとの意思表示をした。

 

その後患者Xは、

・治療期間が当初の計画よりもかかっていること、

・上顎の前歯部と臼歯部の間に空隙ができていること、

・左右の臼歯部を舌側に傾斜させたこと、

この三点が債務不履行にあたるとして、Y歯科医師に対して既に支払った治療費及び慰謝料の損害を求めて損害賠償請求訴訟を提起した。

 

<裁判所の判断>

裁判所は、「矯正治療とは、生体に矯正力を加えることにより咬合状態の不正を改善することを目的とするものである」とし、そのことから、矯正治療契約の法的性質は準委任契約であり、仕事の完成を目的とする請負契約ではないと判示しました。

そして、治療契約の締結に当たって治療期間ないし矯正治療に要する期間が示されていたとしても、Y歯科医師は「その期間内に矯正治療を終了させるように努めることを約束した」にとどまり、10ヶ月が「履行期限(実際に治療を行う期限)」として合意されたとはいえないと判断しました。

そして、Y歯科医師が10ヶ月以内に矯正治療を終了させるように努めることを怠ったと認めるに足りる証拠もないとして、期限を過ぎたことが本件治療契約の債務不履行であるとの患者Xの主張を採用しませんでした。

 

また、上顎の前歯部と臼歯部の間の空隙については、第二期計画において補綴物により空隙を閉鎖する治療方法をとることを予定しており、そのことが矯正歯科医師としての裁量を逸脱したものとはいえないとして、債務不履行にあたるとの患者Xの主張を採用しませんでした。

さらに、臼歯部の舌側への傾斜についても特に異常なものではなく、矯正治療が適正にされた結果であり、Y歯科医師には注意義務違反がないと判示しました。

 

そして、裁判所は準委任契約である本件治療契約は、終了までの経緯に照らして「患者Xの解除により履行の途中で終了した」と判断しました。

そして、準委任契約において、委任がY歯科医師の責めに帰すことができない事由により履行の途中で終了した場合、その場合でも報酬全額を得ることができる旨の特約がない限り、Y歯科医師は、履行の割合に応じて報酬を受けることができるにとどまり、既に受領した報酬のうち、履行の割合に応じた報酬を超える分については患者Xに返還する義務を負うと判示しました。

 

歯列環境を整えるための矯正についてはほぼ終えたものの、矯正の結果を保持するのに必要不可欠な後戻り防止のための処置が終了していないことから、歯列の後戻りが生じている点、矯正を要する時期が通常よりも短期であることを前提に通常よりも高い治療費が設定されていたにもかかわらず、治療に長期を要した点等を考慮して、Y歯科医師が履行の割合に応じて取得することができる報酬は、本件治療費の8割が相当であると判断しました。

 

2、保定期間中のブラッシング指導不足によりう蝕が発生したトラブル

<事案>

1998年2月、患者Xは、「上顎と下顎の前突が気になる」ということを主訴に、Y歯科医院を訪れた。

そこで、全顎矯正を行い、上下顎前突を解消するための治療を受ける旨の診療契約を締結し、治療を開始した。

 

同年3月1日から1999年1月6日まで、上下顎に動的矯正装置を取り付けて、歯および顎を移動させることを内容とする動的矯正を行った。

この動的矯正期間中、Y歯科医師は患者Xに対して、次のようにブラッシング指導を行った。

 

(1)1999年3月1日、「矯正治療をはじめられる方へ」と題したパンフレットを手渡し、矯正治療を行っている間はしっかりと歯磨きをするようにと述べた。

このパンフレットには「歯ブラシを必ず使いましょう」という見出しで、次の事項が記載されていた。

・複雑な矯正装置を装着する場合、歯の清掃を怠るとう蝕等の原因となること 

・食事の後は必ず歯ブラシを使用するか、うがいをするよう習慣づけなければならないこと

・Y 歯科医院では、患者に適切な歯ブラシを手渡し歯の清掃指導を行う予定であること

 

(2)1999年3月13日、Y歯科医師は、患者Xに対して矯正装置を装着した歯の模型を使って、

歯と矯正装置との境目については食後に必ず磨くようにすること、歯磨きの際 には、歯ブラシを縦にして歯や歯間をブラッシングするという縦磨きの方法で も磨くようにすることなどを説明し、指導した。

 

1999年11月6日、矯正器具を取り外し、歯の裏側に固定式保定装置を取り付けて、保定を開始した。その後、2002年1月8日に保定期間が終了し、全期間において順調に推移し、全顎矯正を終了した。

この保定期間中、次の診療があった。

(1)1999年11月19日

口腔内写真を撮影(歯と歯ぐきの間や歯と歯の間等に歯垢が付着しているのが写っている)

Y歯科医師は患者Xに対し、今までと変わらず歯磨きをするようにと述べた。

 

(2)2000年4月14日

口腔内写真を撮影(歯と歯ぐきの間や歯と歯の間等に歯垢が付着しているのが写っている)

 

(3)2001年8月20日

患者XはY歯科医院において診察を受けた。

 

2002年1月9日、患者XはY歯科医院とは別の歯科医院を受診。

診査の結果、左右上 1 番および左右上 2 番において隣接面に象牙質にまで達するう蝕が進行していることが判明。

さらに、左上1番は歯根膜炎を発症していることが判明した。

このことから、患者XはY歯科医師に対して、矯正治療費や慰謝料等として約410万円の支払いを求めた。

患者Xは、Y歯科医師が十分にブラッシング指導を行うなど口腔内の衛生環境を良好に管理すべき義務に違反し、それによってう蝕が発生したと主張した。

これに対し、Y歯科医師側は保定期間中、患者Xに対し歯磨きの不足をを指摘し、ブラッシング指導を行っていた。このことはカルテにも「Br」と記載されており、義務を果たしていると主張した。

 

<裁判所の判断>

 裁判所は、本件う蝕発生の機序について、保定期間中「固定式保定装置の周辺部分における歯と歯の間の部分のブラッシングが十分でなかったために、その部分に歯垢が溜まったことが原因で発生した」と認定しました。

この事実を前提とし、裁判所は一般論として「歯の裏側に固定式保定装置を装着して保定を行う」歯科医師は、「その保定を行う際、当該患者に対し、同装置の周辺部分は歯垢が溜まりやすく虫歯になりやすいことを十分に説明した上、その部分について動的矯正期間におけるよりも一層丹念にブラッシングを行わなければならないことを十分に指導すべき診療契約上の義務(債務)を負う」と判示しました。

また裁判所は、保定期間中に撮影された X の口腔内の写真には「歯と歯ぐきの間や歯と歯の間等に歯垢が付着しているのが写っていた」ことから、Y歯科医師は「上記のような説明、指導をより一層十分に行うべき 義務を負っていたというべきである」と判示しました。

 

しかし、裁判所によって認定された事実は「Y歯科医師は事例の概要の記載の限度でしか説明、指導を行わなかった」という内容でした。

特に保定期間中においては、1999年11月19日の診療の際、今までと変わらず歯磨きをするようにと述べた程度で、それ以上に特にブラッシング指導を行うことはなかったとしました。

これに対し、Y歯科医師は患者Xが来院した際にはしばしばブラッシング指導を行ってきたと主張しましたが、「保定期間中において、ブラッシング指導、とりわけ、 固定式保定装置の周辺部分における歯間のブラッシングを丹念 に行うようにとの指導を十分に行われなかったという診療契約上の義務違反があった」ことを理由として、裁判所は歯科医師Yに対して、Xに生じた損害について55万円の支払いを命じました。

 

3、歯科矯正に際し歯科医療者が求められるもの

これら二つの判例から学ぶべきことは、歯科医療者としてどのように患者に接し、導くかという点です。

歯科医両者にとっては当たり前のことであっても、一般的には浸透していないことは多く、それらをいかに分かりやすく伝えられるかが歯科医両者には求められており、また分かりやすくかつ的確に伝えていくことは歯科医両者の責務であるとも言えます。

具体的にはどのようなことに気をつけると良いのでしょうか?

 

3−1 インフォームドコンセント

2001年に最高裁で行われた判決において、「人の身体に対する侵襲を伴う治療行為は、患者の同意があれば必ず違法性を阻却するのではなく、医療水準にのっとった十分な説明を受けたうえでの同意であって初めて違法性を阻却させる」という参考判例があります。

歯科矯正は期間も費用もかかります。治療計画を立てる際、その内容が今までの症例において実績があるものなのか、患者の症例に合っているのか、また考えられる懸念事項などをしっかりと説明した上で進めなければなりません。

上記判例からも、十分な説明を行い、患者がその内容を理解した上で同意を得ることが医療者の責務として求められていることが分かります。

 

3−2 口腔衛生管理は基本のキ!

矯正治療中に管理するべきはその歯列の変化だけではありません。

矯正器具や保定装置により、磨きにくい部分ができていること、歯ブラシだけでは磨ききれない箇所にはその状態にあったタフトブラシなどの補助用具が必要であることを指導し、健康な口腔状態を維持できるよう指導する必要があります。

また歯を磨くということだけでなく、う蝕を予防するために、う蝕の発生やその危険性について診察し、患者の口腔内にあった説明や指導を行うことが重要です。

 

まとめ

矯正期間は長く、また自費診療であることから一般的な診療以上に患者からの期待も大きくなります。

長い治療期間や、食事など日常での不快感から患者には不満が溜まりやすくなっています。

不安感から疑心暗鬼になりやすく、そこから不信感が募ってしまう場合も少なくありません。

こちらから声をかけ、患者の悩みや思いにいち早く対応することで歯科医院への信頼感を高められるよう努めていきましょう。

ライター:古家

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